こんばんは、代表の稲田です。
10月20~21日の二日間、庭の講習会を受講しに
京都に行ってきました。
今回の講習は、
講師「尼崎博正」教授 農学博士、京都造形芸術大学教授
テーマ「庭石の加工痕に込められた美意識を探る」
皆さんは、庭石の加工痕をご存知でしょうか?
石は、その用途に応じて様々に形を変えて
庭に取り入れられてきました。
石を掘り出し、刻み、積み石にしたり、据え石にしたり、
機能性をもたせたり。
その中で必要になるのが、石を必要な大きさに割るというもの。
こちらは天正14年、豊臣秀吉によって築造された
方広寺大仏殿の石垣です。
写真だと大きさ分かりづらいですが、
高さ3mは近くあったと思います。
そして注目してほしいのが巨石の中央に縦に刻まれた穴。
これは「矢穴」といい、この穴に「セリヤ」という
道具を入れ、左右に押し開く力で石を割ります。
そして、石を割った後の跡がこちらです。
写真中央の左右の石の継ぎ目に等間隔に7カ所ほど
石に窪みがあるのが分かると思います。
これは矢跡という、石を割った時の矢を入れた跡です。
こちらは(株)西村石灯呂店さんです。
今回、社長の西村大造さん自ら石を割る
実演をして下さいました。
これを生で見れる幸せ・・・ありがたいです(^^)
まずは矢穴を掘っていきます。
穴の大きさや間隔は石の大きさや
石の質によって変わります。
続いて矢穴に藁とセリヤ(マメヤ)を入れます。
最後にセットウという石道具でセリヤを
順に叩き、割っていきます。
見事に半分に割れました!
もう見て分かりますよね!これが矢の跡です。
現在は機械で穴をあけて割ることが多いですが、
これは人が手間をかけて割った痕跡です。
何とも美しいです。
そして、石の加工痕をある時期から
「美として意図的に残すようになります」
ではなぜ、この加工痕が美として捉えられるようになったのでしょうか?
さて、今回の講習会では、
茶庭巡りもあり最も楽しみにしていたのが官休庵の見学です。
官休庵には、前々からずっと行きたいと思っていました。
茶道を習われている方ならご存知かと思いますが、
武者小路千家のお家元です。
そして、ようやく念願が叶い入る前からドキドキ!
残念ながらここから中は撮影禁止ということで、写真はありません!
メモ一つ取らずに心に感じたものを刻みます。
起風軒でお茶(お薄)とお菓子のおもてなしを頂き、
続いて、官休庵、環翠園、半宝庵、行船亭を見学。
特に見たかったのは、編笠門や黒三和土、植栽で、
編笠門の檜皮葺の継ぎ目が全く分からないのは驚きでした!
また、官休庵にも矢跡のある短冊石が据えられていました。
一緒に参加された方も「生きてて幸せ」とおっしゃっていました(^^)
その他、大正時代、植治(庭師)の設計で改修された
仁和寺の寝殿北庭や、飛濤亭(ひとうてい)、
遼廓亭(りょうかくてい)を見学。
こちらは、チャート石の矢跡が景石で使われており、
美の完成と、技術の高さを感じました。
最後に紹介するのは知恩院です。
こちらの庭は寛永19年(1642)~天保2年(1645)にかけて
改修整備されたと想定されている。
作庭者は僧玉淵(ぎょくえん)と量阿弥によるもの。
やはりこちらでもチャート石の矢跡が景石で使われておりました。
「ではなぜ、この加工痕が美として捉えられるようになったのでしょうか?」
それは、今回、露地を巡ったことが大きく関係しており、
「茶の湯が伝えられることで、この庭石の加工痕が美として
捉えられるようになったのではないか」ということでした。
つまり、茶の湯は茶碗にお茶が入った
完成されたものを差し出すのではなくて、
お茶を差し出すまでの過程も含めて
相手へおもてなしする。
「お点前もお茶の味わい」
庭石もお点前同様その過程を美として、加工痕が人の心を
表現し、美として伝わってきたということでした。
私も、先人の痕跡に心打たれるものがあり、
出来るだけお客様にも意味を説明しながら
使わせてもらっています。そして、自分もこの日本の美を
大切に残していきたいと感じました。
本当に素晴らしい研修旅行となりました。
ありがとうございました。