「茶道」の庭園文化

あくまで私の独り言として読んでいただければと思います。

間違ったこともあるかもしれないので・・・

 

~「茶道」の庭園文化を学びに大阪へ~

庭仲間と2泊3日の研修旅行に行ってきました。

今回は、明治期の茶道の庭園文化を学びに

大阪へ講義を受けに行きました。

 

現地研修としては、明治期に「煎茶派」の総大将と言われた

住友春翠の茶臼山「慶沢園」。

作庭は植治こと7代小川治平衛。

そして、「抹茶派」の総大将と言われた藤田伝三郎の「本邸」

作庭は梅園梅叟(ばいえんばいそう)。

 

この庭園を見比べてみると、全く違う雰囲気で、

住友春翠、藤田伝三郎の世界観の違い。

そして、「煎茶・抹茶」のそれぞれ大切にしているものの

違いを感じました。

 

ただ、共通しているのが環境への配慮がきちんとされ、

緑が少ない大阪市に庭を通して緑を残しているということ。

(整備も行われております。)

 

「慶澤園造營略記」に記された

「・・・樹木に乏しき大阪に於ける唯一の風致林として其保存を圖り・・・」

という文章からは、住友春翠の環境への配慮が伺え、

庭をつくるだけでなく、緑の少ない所だからこそ、

大阪市に寄贈してまでも庭を残そうとする

先人の方の心意気に感心しました。

 

今では慶沢園の建屋のあったところは美術館となり

大阪市で管理されています。

 

現代は、「茶庭」というと「抹茶席の露地」という

イメージが強いように思いますが、

「煎茶席のある庭」「煎茶・抹茶を両用出来る庭」

「抹茶のみの露地」など、様々です。

 

以前、講義を受けた矢ケ崎善太郎先生の資料によれば

大正10年に開かれた「東山大茶会」では、42席のうち

濃茶席4、薄茶席14、煎茶席14、香煎席2、小酔席6、

立礼式点茶席1、楽焼席1であったということです。

 

造園連青年部仲間にも人気の高い「無隣庵」も

煎茶席として開放されました。

 

どちらかと言えば、現代の庭園は「煎茶の庭」からの影響で、

開放的な庭屋一如」の世界観となっているように思います。

*あくまで、個人的な意見です(^_^;)

 今年の4月に造園連青年部で設置した世界盆栽大会の庭は、

そんな庭園文化を知り、煎茶の庭を表現しました。

それは明治34年の住友春翠による煎茶会の初見では、

「本邸(鰻谷)南庭に盆栽を陳列し、煎茶席を設けて同行の友を招いた」

という記録が残されていて「盆栽と茶道のつながり」を知り、

これを表現の一つに入れたかったのです。

そこで青年部の方々にそんな庭園文化を伝え、表現できたのは

とてもいい経験となりました。

*なんか偉そうですみません(^_^;)

なんだかまとまらなくなってしまいましたが、とにかく

「造園屋」ではなく「庭師」という誇りを持って、庭園文化や

先人の方の考え方を学び、発信していければと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました(._.)